「当事者発想」× NIKKEN Inclusive Design イベントレポート
#レポート
株式会社日建設計が運営する共創プラットフォーム「PYNT(ピント)」にて、5月13日、トークイベント「『当事者発想』× NIKKEN Inclusive Design」が開催されました。
本イベントでは、書籍『当事者発想 あなたの「誰かのため」は、何のためか?』の執筆者である佐藤徹、川合俊輔、各務太郎さんと、日建設計インクルーシブデザインラボの西勇さんが登壇。「当事者とともに考える」視点を起点に、建築・都市・組織における価値創出のあり方、そして実践や社会実装への接続について語り合いました。
イベント概要
項目 | 内容 |
|---|---|
イベント名 | 「当事者発想」× NIKKEN Inclusive Design |
開催日 | 2026年5月13日 |
会場 | PYNT竹橋 |
主催 | 日建設計、CULUMU(株式会社STYZ) |
テーマ | 当事者とともに考える視点から、建築・都市・組織における価値創出と社会実装の可能性を探る |
登壇者
氏名 | 肩書き |
|---|---|
西 勇 | 日建設計インクルーシブデザインラボ所属/一級建築士 |
各務 太郎 | 株式会社SEN代表/建築家/Identity Academy理事 |
川合 俊輔 | CULUMU代表/デザイナー/研究者 |
佐藤 徹 | 当事者発想ラボ 室長/CEO補佐 |
当日のレポート
1. 開会:「言葉の定義」から「現場でどう活かすか」へ
イベントの冒頭、進行を務めた各務太郎さんは、この日のテーマである「当事者発想」と「インクルーシブデザイン」について、まず言葉そのものへの距離感を確認するところから話を始めました(以下、敬称略)。
各務:「当事者発想も、インクルーシブデザインも、もともと知っている方もいれば、まだ馴染みのない方もいらっしゃると思います。今日は言葉の定義を深掘りしながら、それが実際の現場でどのように活かされていくのか、プラクティスのところまでディスカッションできればと思っています」
会場となったPYNTは、日建設計が運営する共創プラットフォームです。この日は、日建設計とCULUMU(株式会社STYZ)の共催イベントとして、前半に両者の取り組み紹介、後半にトークセッションと質疑応答が行われました。
登壇者は、書籍『当事者発想 あなたの「誰かのため」は、何のためか?』の共著者である佐藤徹、川合俊輔、各務太郎、そして日建設計インクルーシブデザインラボに所属する西勇の4名です。
自己紹介では、佐藤がSTYZのCEO補佐および当事者発想ラボの事業統括としての立場を、川合がCULUMU代表として企業の新規事業や社会課題に向き合うデザイン支援の実践を紹介しました。西さんは、日建設計がパレスサイドビルや東京ミッドタウン、東京スカイツリーなどを手がけてきた建築設計事務所であることに触れつつ、現在は社内のインクルーシブデザインラボのメンバーとして活動していることを説明しました。
2. 日建設計インクルーシブデザインラボの紹介
最初のプレゼンテーションでは、西から日建設計の「インクルーシブデザインラボ」について紹介がありました。
スクリーンに映し出されたのは、日建設計のイラストレーションスタジオチームとともに描いた一枚の絵でした。ハートの周りに、まだ色のついていない人たちが描かれています。遠くから見れば同じ属性の人たちに見えるかもしれない。しかし一人ひとりの話を聞いていくと、それぞれに個性やストーリーがある。西は、その絵に込めた思いを次のように説明しました。
西:「インクルーシブデザインは、一人ひとりが何をしたいのかを体現していくような取り組みでもあると思っています。私たちは『だれもが、自分らしく活動し、暮らせる社会を目指す』というコンセプトで活動しています」

【登壇資料より:日建設計インクルーシブデザインラボが掲げる活動コンセプト。】
日建設計では、2024年に有志によるインクルーシブデザインの研究チームを立ち上げました。その後、社内での認知の広がりや社会的な動きもあり、組織として、建築・都市づくりにおける当事者参画のプロセスを実践する活動へと発展してきました。
西が強調したのは、インクルーシブデザインは「話を聞くだけ」で終わるものではない、という点です。従来のデザインプロセスでも、利用者や関係者に話を聞くことはありました。しかし、それだけでは「聞いたから十分」となってしまうことがあります。
西:「インクルーシブデザインでは、話を聞くだけでいいよね、十分だよね、とはならないんです。デザイナーと当事者だけでなく、翻訳者やさまざまな専門性を持った人にも入っていただき、デザインチームとして一緒にものづくりをしていくことがポイントだと思っています」

【登壇資料より:インクルーシブデザインプロセスの考え方。】
その実践の一つとして紹介されたのが、日建設計と特例子会社であるフロンティア日建設計との共創です。西さん自身も、もともとはフロンティア日建設計に所属していたといいます。日建設計には3,000名に近い社員が、フロンティア日建設計には30〜40名の社員が在籍しており、多様なバックグラウンドを持つ人たちが建築プロジェクトに参画できる仕組みづくりを進めています。
西は、この取り組みを「となりにいる状態をつくる」と表現しました。同じ会社、同じビルで働いていても、普段は接点が生まれないことがあります。それは、社会の中でも同じです。車いすユーザーや視覚に障害のある人を街で見かける機会が少なくても、実際には多くの人が存在している。その接点がつくられていないこと自体に課題があると話しました。

【登壇資料より:当事者との共創からはじまる、日建設計とフロンティア日建設計の取り組み。】
続いて、西は社外との連携にも触れました。日建設計だけでなく、有識者、大学、企業、当事者ネットワークと連携しながら、インクルーシブな社会の実現に向けた共同研究を進めているといいます。建築における当事者参画は、制度面でも重要性が高まりつつあり、今後より身近なテーマになっていく可能性があることも共有されました。
最後に紹介されたのが、会場でもあるPYNTです。PYNTは「街の未来に新しい選択肢をつくる共創プラットフォーム」として運営されています。場所を提供するだけではなく、「課題の当事者」や「解決の担い手」と、建築・都市の専門性をつなぐ場です。
西:「一つの企業だけではなかなか解決できない複雑な問題を、ほかの企業や専門家の方々と一緒に解決していきたいと思っています。PoCだけで終わるのではなく、持続可能なモデルをつくるところまでやっていくことを目指しています」
3. 日建設計とCULUMUが出会った背景
続いて各務は、日建設計とCULUMUが共同で進めているプロジェクトに話題を移しました。どのような経緯で両社の取り組みが始まったのか。川合は、インクルーシブな取り組みを「評価する」「商談につなげる」「可視化する」ための基準がまだ十分に整っていないことが、出発点の一つだったと説明しました。
川合:「だれ一人取り残さないという取り組みは増えている一方で、それを評価したり、可視化したりする基準やガイドラインがないとなかなか進まないですよね、という課題感がありました。まずは可視化するプロジェクトからやりましょう、となったことがきっかけです」
川合は、デザイナーに求められる役割が変化していることにも触れました。デザイン会社というと、制作物やクリエイティブをつくる存在として見られることが多いかもしれません。しかし現在は、それだけではありません。どのようなプロセスでプロジェクトを進めるのか。当事者参画をどのように設計するのか。そこで得られた気づきや発想を、どう実装につなげるのか。
こうした「デザインマネジメント」や「インサイトマネジメント」の視点が、建築や都市づくりの中でも重要になっています。日建設計が社内で進めている当事者参画の取り組みと、CULUMUが培ってきた共創型のデザインプロセスが重なり、両社の接点が生まれたといいます。
西:「インクルーシブな話をしている人は増えていますが、実際にやっている人はまだ限られていると思います。だからこそ、実践している人たちがつながることに意味があると思っています」
各務は、インクルーシブデザイン自体は研究の世界では比較的早くから語られてきた一方で、実践の現場にはまだ十分に広がっていないと受け止めました。だからこそ、日建設計とCULUMUの出会いには、実践者同士がつながる意味があったのだと話しました。
4. 書籍『当事者発想』が問い直す「誰かのため」
ここからは、CULUMU側の話題として、佐藤から書籍『当事者発想 あなたの「誰かのため」は、何のためか?』の概要が紹介されました。
佐藤は、企業、行政、福祉の現場などで「誰かのために何かをしたい」と考える人は多い一方で、その気持ちが空回りしてしまったり、うまく形にならなかったりすることも少なくないと話します。
佐藤:「善意が独り善がりになる構造を、構成要素から見直し、真の改善につなげるための視座とは何か。そうした問いを、本の中で考えています」
特に印象的だったのが、「当事者性はグラデーションではないか」という話です。当事者性というと、「ある/ない」の二分法で捉えられがちです。しかし佐藤は、自身の経験を振り返りながら、それほど単純には切り分けられないのではないかと語りました。
学生時代、塾講師のアルバイトをしていた佐藤は、生徒の保護者から「先生は若いし、子育てもしたことがないから、わからないよね」と言われたことがあったそうです。そのとき、「自分は親ではないけれど、生徒に先生として関わっている」という感覚が残りました。そこに生まれたわだかまりが、当事者性を同心円のように捉える視点につながっていったといいます。
当事者性とは、意思の有無を超えた「影響を受ける構造」そのものではないか。そう考えると、子ども、親、学校の先生、周囲の人、それぞれが異なる形で当事者性を持っていることになります。

【登壇資料より:当事者性を同心円として捉える考え方。】
例えば、小学1年生の子どもを育てながら、製薬会社で営業職として働く人がいるとします。その人は、家事や育児を担う本人であり、子どもの教育に関わる保護者であり、さらに医薬品の販売に携わる対象領域の内部者でもあります。一人の中にも複数の当事者性があり、それは時間とともに変化していきます。
「誰かのため」を、共に変容する「わたしたちのため」へ。
佐藤は、この転換ができると、共に考え、共につくる関係性が生まれやすくなると話しました。一方で、当事者発想には落とし穴もあります。誰かのためと言いながら、実は自分の思い通りにしたいだけになってしまうこと。多くの声に触れる中で、誰のために取り組んでいるのかが見えなくなること。一人の当事者の声が強く印象に残り、その人だけを代表として捉えてしまうこと。そして、インクルーシブデザインという手段そのものが目的化してしまうことです。

【登壇資料より:当事者発想における落とし穴としがらみ。】
佐藤:「インクルーシブデザインをやりたい、というご相談をいただくことがあります。でも、なぜやりたいのか、なぜやるべきだと思ったのかを紐解かないと、手段が目的化してしまう。プロジェクトが終わったときに、結局何が残ったんだっけ、となってしまうこともあります」
だからこそ佐藤は、「失敗する『みんなのため』、成功する『一人のため』」という考え方を紹介しました。最初から「みんな」を見ようとすると、誰にとっても悪くなさそうな、平均的で反対されにくい案に議論が落ち着いてしまうことがあります。その結果、本当に困っている人の視点が失われてしまう。
当事者発想では、まず個別事象に深く向き合うことを出発点にします。N=1の解像度が高まるほど、問いは鋭くなり、具体性を帯びていきます。その個別の問いを、どのように普遍化していくのか。そこに、当事者発想の核心があります。

【登壇資料より:「みんなのため」と「ひとりのため」の違い。】
5. インクルーシブデザインとカーブカット効果
続いて佐藤は、インクルーシブデザインと当事者発想の接続について話しました。インクルーシブデザインとは、従来の平均的なユーザーや典型的な顧客像から除外・分断されてきた多様な人々を、製品やサービスの開発プロセスの上流から巻き込み、共につくっていくデザイン手法です。
ユニバーサルデザインとの違いについては、「ユニバーサルデザインは結果、インクルーシブデザインはプロセス」という整理が示されました。ユニバーサルデザインは、ガイドラインやチェックリストに基づき、仮説を検証していくことに向いています。一方でインクルーシブデザインは、多様なユーザーがプロセスに参加することで、新たな仮説を生み出すことに向いています。
佐藤:「インクルーシブデザインに取り組んだ結果、そのプロダクトやサービスがユニバーサルデザインに近づくことはあります。ただ、ポイントはデザインプロセスです。最初から当事者と一緒につくっているかどうかが、大きな違いになります」

【登壇資料より:ユニバーサルデザインとインクルーシブデザインの違い。】
そのうえで紹介されたのが、「カーブカット効果」です。アメリカ・バークレー市で、車いすユーザーのために歩道の縁石をなくすカーブカットが整備され、その後、ベビーカーを押す人、大きな荷物を持つ旅行者、シニアなど、多くの人にとって便利なインフラへと広がった事例です。
個別の課題解決が、結果として全体最適につながる。N=1の困りごとに向き合った解決策が、N=ALLの価値に広がっていく。この構造が、インクルーシブデザインを考えるうえで大切なキーワードとして共有されました。

【登壇資料より:カーブカット効果の説明。】
身近な例として、字幕も挙げられました。字幕は本来、聴覚に障害のある人の映像理解を支援するものです。しかし、騒音のある場所で映像を見る人、語学学習をする人にとっても価値を持ちます。本来的な価値と副次的な価値が重なり合うことで、より広い人々の体験を支えるものになっていきます。
ただし、佐藤は「最初からカーブカット効果だけを狙うこと」には注意が必要だとも話しました。みんなのためになるから、という理由だけを追いかけると、今まさにバリアを感じている人の課題が後景化してしまう可能性があります。
佐藤:「DE&Iをイノベーションの機会にすることは大切です。ただ、本来あるべきDE&Iや、現在何らかのバリアを感じている人のための取り組みであることを、まず第一に考えることを忘れずにいたいと思っています」
6. トークセッション:「助けられる側」から「共に決める主体」へ
後半のトークセッションでは、まず「『助けられる側』から『共に決める主体』へ」というテーマが取り上げられました。建築や都市計画の領域では、建築家などの専門家が正解を提示し、施主やクライアントがそれを受け取るような関係になりやすい面があります。各務は、その構造について西に問いかけました。
西は、専門家やものづくりを担う人と、それを提供される側のあいだには、「やってあげる/やってもらう」という構造が生まれやすいと話しました。もちろん、困っている人のために何かをしようとする気持ち自体が悪いわけではありません。ただ、そのままでは共に決める関係にはなりにくい。

西:「誰かのためにやってあげるのではなく、どんなチームで何をつくっていくのか、スコープやスキームをどうつくるのかが大事だと思います。専門家はチームを構成する一つの属性であって、それがすべてではないということです」
この話を受けて、各務は、クライアントから問いが与えられ、専門家が正解を示すのではなく、クライアントや当事者も含めて、みんなで問いをつくるところから始めるイメージだと整理しました。
川合は、CULUMUが企業の研究者と取り組むプロジェクトでも、最初は「助けたい」という思いから始まることが多いと話しました。その思い自体は大切です。ただ、そこから関係性を変えていくためには、当事者と一緒に移動したり、食事をしたり、時間を重ねていくことが必要になります。

川合:「その人たちと一緒に移動したり、ご飯を食べたりすることを繰り返す中で、気づいたら一緒に解決しよう、一緒に考えようという変容が起きる状態をつくりたいんです」
半年、1年と関わる中で、関係性は少しずつ変わっていきます。相手に「変わってください」と言うことは簡単ですが、実際には伝わりにくく、難しいものです。だからこそ、お互いが当事者になれるような関係性をつくることが重要になります。
一方で、すべての当事者がものづくりの専門家であるわけではありません。だからこそ、デザイナーや開発者などの専門性も必要です。重要なのは、専門家が一方的に正解を出すのではなく、関係性の中で意見交換を重ね、共につくっていくことです。
7. 「どうありたいか」から考える設計
次のテーマは、「どうありたいか」という願い、つまりBeニーズを出発点にした設計です。各務は佐藤に、Beニーズとは何かを尋ねました。

佐藤:「Beニーズは、『どうありたいか』『どんな存在でいたいか』という願いのニーズです。『こうしたい』『できるようになりたい』というDoニーズや、『こういうものを持ちたい』『なかったものがあるようになってほしい』というHaveニーズとは少し違います」
佐藤によれば、多くの課題や悩みは「こうしたいのにできない」というDoニーズとして語られます。しかし、その奥には、その人がどのような生活を送りたいのか、どのような存在でありたいのかという願いがあります。
たとえばリハビリは、単に失われた機能を元に戻すことだけではありません。できないことがある中でも、その人なりの生活を成立させていく営みです。だからこそ、DoニーズやHaveニーズを、Beニーズへと置き換えて考えることが必要になると佐藤は話しました。
建築の例として、各務は「窓が欲しい」という要望を挙げました。窓を取り付ければ完了、という話に見えるかもしれません。しかし本当は、「明るく温かい空間で過ごしたい」という願いが背景にあるかもしれない。要望の奥にあるBeニーズを掘り下げることで、設計の方向性は変わっていきます。
佐藤は、自身が過去に関わった子どもホスピスの設立時の経験を紹介しました。医療的ケア児とその家族が泊まる短期入所施設で、中央の広場を囲む各部屋に窓を設けたといいます。体調が悪くて広場に出られない子どもでも、部屋からイベントの様子を見られるようにするためでした。
ところが施設が動き始めると、その窓は別の価値も生みました。夜勤の看護師が、子どもたちの酸素濃度などが映るモニターを窓側に向けることで、ナースステーションから複数の子どもの状態を確認できるようになったのです。子どもたちがイベントに参加できるようにするための設計が、結果として業務効率化にもつながりました。
佐藤はこれを、書籍で紹介している「点・線・面」のフレームワークに重ねました。一人のN=1の点から始まり、その解決策が線となり、さらに面へと広がっていく。出発点はDoニーズやHaveニーズであっても、その先にある「どうありたいか」を見落とさないことが大切だと語りました。
西は、システム設計で用いられる「As-Is」と「To-Be」の考え方にも触れました。現状がどうで、これからどうなりたいのか。その間をどのように埋めていくのかを考えることは、建築や都市の設計にも通じるといいます。
西:「Beニーズは、ハードをどうするかという話ではなく、本質的にどうしたいかということだと思います。建築の初期段階ではみんな言っていることでも、実際に設計していくと制約も出てきます。だからこそ、そこを深掘りしていくことが大事だと思います」
8. 「みんなのため」が、なぜ考えを鈍らせるのか
続いて、日建設計とCULUMUの両者に重なる問いとして、「みんなのため」という発想が、なぜ考えを鈍らせてしまうのかが議論されました。
各務は、ユニバーサルデザインには時代背景があると話しました。大量生産・大量消費の時代には、多くの人に商品を届けるために、平均的なものをつくることに合理性がありました。それ自体が悪いわけではありません。しかし今は、技術や社会の変化によって、一人のためにつくることから価値を広げていく可能性が生まれています。
川合は、インクルーシブデザイン、共創、コ・デザイン、ユニバーサルデザインは、概念をたどれば、目指していることには共通点があると話しました。豊かさを突き詰めること、排除しないこと。その実現に向けて、さまざまな言葉や切り口が生まれてきたのだといいます。
川合:「色々な人が、色々な言い方や切り口で、どうやったら世の中に概念を浸透させつつ実装できるかを、10年、20年、30年とずっとやってきたのだと思います。だからこそ混乱もありますし、それくらい難しいということでもあります」
川合は、インクルーシブデザインがイギリスから始まった背景にも触れました。宗教や移民、差別など、社会の中で多様な人々がともに暮らすうえで生じる課題を背景に、当事者を巻き込みながら課題を見つけ、減らしていく取り組みが重ねられてきたといいます。
各務は、自身が大学院で建築を学んでいた時の経験を紹介しました。オフィスの設計課題に取り組んでいた際、チームにいたイスラム教徒のメンバーから、平面図を見て「祈りの場所がないんだけど」と言われたそうです。日本で育ってきた各務にとって、それはそれまで一度も考えたことのない視点でした。

各務:「やろうと思っても、そもそも自分の引き出しに入っていないケースがあると思うんです。インクルーシブデザインをやろうと思っても、そもそもなかった、ということが起きる」
この経験は、多様な背景を持つ人が場にいることそのものが、問いの前提を広げることを示しています。西は、社会の中でまだ認知されていないN=1の困りごとに目を向けることは、すでにある取り組みをさらに広げることだと応じました。
西:「特定の誰かのために一生懸命答えを見つけると、社会の中でできることが広がっていくと思います。それを色々な人がやれば、円が大きくなって、社会の包摂性が高まっていく。だからこそ『みんなのため』と言ってしまうと、N=1の困りごとや課題は見えづらくなってしまうと思います」
「みんなのため」という言葉は、包摂的に見えます。しかし、最初からそこを目指すと、具体的な困りごとが見えにくくなることがあります。だからこそ、専門性を持つ人々がN=1の課題を見える化し、そこから社会に広げていくことが必要だと共有されました。
9. 生成AI時代だからこそ、現場で問いをともにつくる
最後に各務は、書籍『当事者発想』の企画から発売までの約1年間が、生成AIの普及期と重なっていたことに触れました。広告や企画の現場では、しばしば「ペルソナ」を設定します。しかし、実際には存在しない平均的な人物像を想定してしまうこともあります。生成AIの時代には、その傾向がさらに加速するのではないか。そんな問題提起から、当事者発想と生成AIの関係に話が移りました。
佐藤は、生成AIと当事者発想は相性が悪いのではなく、むしろ補完関係にあると話しました。N=1の声がインターネット上に上がっていれば、生成AIはそれらを取り込み、言葉の解釈やインサイトの整理に力を発揮できます。一方で、AIだけに頼ると、ネット上に多く存在する声、つまりボリュームゾーンの意見に引き寄せられるリスクがあります。
佐藤:「AIだけに頼ってしまうと、当事者発想ができなくなるリスクがあると思っています。AIで出てくる声は、ボリュームゾーンの声であることもある。中央値のような声を見て、『そんなに困っていないね』と思ってしまうのはよくないと思います」
本当に困っている人の声が、必ずしもネット上に出ているとは限りません。「どうせ自分の声は誰も聞いてくれない」と思い、発信していない人の課題は、生成AIにも見えません。
だからこそ、AI時代だからこそ現場に行くことが大切になります。それは単なるヒアリングではなく、当事者と一緒に問いを考えるところから始める共創です。現場で得たN=1の声や気づきをAIに共有し、整理や発想に活かすことができれば、生成AIは当事者発想を支える強力なパートナーにもなり得ます。
起点となるのは、AIが知っている平均的な声ではなく、まだ言葉になっていないN=1の声です。
各務は、当事者の声がすべてネットに出ているわけではないことを改めて確認し、AI時代だからこそ現場に行き、当事者とともに問いをつくることが重要だと締めくくりました。
10. おわりに
今回のイベントでは、「当事者発想」と「インクルーシブデザイン」が、単なる思想やスローガンではなく、建築・都市・組織・事業の実践にどう接続しうるのかが、登壇者それぞれの経験を通じて語られました。
日建設計のインクルーシブデザインラボの取り組みからは、当事者の声を聞くだけではなく、当事者を含む多様な人々がチームとして関わることの大切さが示されました。CULUMUの視点からは、N=1の困りごとを起点にしながら、その解決策を社会や市場へ広げていくためのプロセス設計の重要性が語られました。
「誰かのため」を「わたしたちのため」へと変えていくには、最初から平均的な「みんな」を見ようとするのではなく、まず一人の具体的な困りごとや願いに深く向き合うことが欠かせません。そこから専門家、企業、当事者、社会がともに問いをつくり、関係性を変えながら実装へ進んでいく。
当日の対話から見えてきたのは、インクルーシブデザインとは、誰かを「助ける」ための方法ではなく、誰かと「ともに決める」ためのプロセスである、ということでした。
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